イラストレーター
シマノアヤ子

名古屋市生まれ。
イラストレーション青山塾
ドローイング科卒業

アクリル絵の具、
ボールペン、色鉛筆などを経て
現在は主にipadを用いて
procreateでデジタルイラストを描いています。

中学2年生のとき。
理科の大橋先生の似顔絵を筆頭に
クラスの友だち一人一人の似顔絵を自分の机に描いた。
授業中こっそり描くのが楽しかった。
気づけばわたしの机の上はクラスみんなの似顔絵で
いっぱいになった。

ある時それらは大橋先生に見つかってしまう。
怒られると思って顔を赤くしていたら、
大橋先生は大きな声で言った。
「あんたが描いたの? うまいねぇ~!」
みんなが集まってきて、そして笑った。
先生までもが嬉しそうだった。
この出来事はわたしに
絵を描くことは人を惹きつけ、
笑顔にするものなのだと教えてくれました。

夢はスタントマンだった

イラストを描くことは日常的なことであり、
夢は別にあった。
中学校の頃のわたしの夢は、スタントマンでした。
友だちとブルースリーの映画を見たことをきっかけに
アクション俳優というものに興味を持ち、
高校の頃には
名古屋アクションクラブでスーツアクターのバイトをしていた。
アクション好きは日を追うごとにますます磨きがかかり
ついには千葉真一主宰のジャパンアクションクラブに入部。
名古屋から京都へ週一で通う日々が2年間続いた。
しかし養成期間を完了する直前、膝に怪我をして退部。
その後は身体を動かすことから一転、
ひとり上京を決意しました。

きっかけ

雑誌の編集プロダクションでたまにある
ほんの少しのイラストの依頼が楽しかった。
もっと描きたい。
ずっと描いていたい…
日常的に描いていたイラストが、仕事としてできるのが嬉しい。
でもどうやって動けばいいのかわからない。

グズグズしている時に届いたいとこからのポストカード。
この一枚のポストカードで人生がまたもや一転。
衝撃でした。
とても素敵な風景写真。
それは、いとこが撮った作品。
彼はカメラマンになっていた。
小さい頃からの夢を、彼はしっかり叶えていた。

ショックだった。
何もない自分にショックを受けた。
何をぐずぐずしているんだろう…
頭をガツンと殴られたようなその勢いのまま、
わたしもやらなきゃ! と、
イラストレーター短期養成スクールに申し込みをしました。
とにかくイラストを描く仕事をしたい!

修了後は出版社への売り込みの日々が続きました。
そしてこの頃から
女性誌のイラストカットの
お仕事を始めていくことになる。

そしてさらには
自分のイラストの可能性を広げるため、
「イラストレーション青山塾」で
ドローイングを学ぶ。
しかし塾を卒業した直後に結婚、出産。
子どもと仕事の両立は、
その頃全く考えられませんでした。

10年間のブランク

それから10年弱、
お仕事は全てクローズ。
子どもと過ごす時間を最優先にしました。
あの頃のわたしは
育児と仕事の両立は、現実的ではなかった。

次男が小学校に上がる頃、
改めて自分の好きな仕事をしていこうと決める。
しかしSNSが発達、
時代が大きく変化した頃で、とてつもない恐怖がありました。

できることからやってみよう。
LINEスタンプのを制作、
自分のイラストを世の中にさらけ出してみることから始め、
少しづつ自信を取り戻していきます。
自分の作ったものを使ってくれる人がいること。
喜んでくれる人がいること。
それらはその後の自信に繋がっていきました。

あの時。
机の落書きを見て
喜んでくれた先生や友だちと重なりました。
とても嬉しい気持ち。
こういう気持ちを得られる仕事がしたい。

イラストを再開

10年間のブランクのあと、
少しづつイラストの仕事を再開していく中で
自分にも確かな変化がありました。

自分が手掛けていて楽しいと感じる仕事から、
どんなものが求められ、
どのようなものが喜ばれるのか、
お客さまの気持ちに立って描くことの大切さ。

これは
イラストを描き続けていく上でも
どんなことをしていく中でもとても大切なこと。
これからもずっと、
どうしたら喜んでいただけるのか。
模索しながら制作していきたいと思っています。

自分の得意とすることで世の中にできること

自分のできることの一つに「イラスト」がある。
自分が好きで、得意とすること。
それを使うことによって誰かが心地良くなったり、楽になれたり。
そうやって世の中は循環しているんだなぁーと実感します。
そして、イラストを描くお仕事ができることに感謝しながら、
日々丁寧に、生きていきたいな、と思っております。